2列王記2:23-25を読んで見ましょう。
私たちがこの箇所を読んでもこの悲劇に疑問を持つでしょう。なぜこの悲劇が聖書に記されているのでしょう。そしてこの悲劇を私たちはどのように理解すればいいのでしょうか。
まず最初に文脈を確認します。この2章の前半でエリシャは大預言者エリヤが火の戦車と火の馬によって竜巻に乗って天に上げられるのを目撃しました。その時にエリシャはエリヤの霊を受けました。これは直前にエリシャがエリヤに望んだことで、その印として天に上ったエリヤのマントをエリシャが受け取って水を打つと水が両側に分かれた奇跡を行いました。そしてその後、その町の水が悪かったので、その水を良い水に変えました。これらのことは神がエリヤの次にご自分の預言者としてエリシャを立てられたことの証明でした。その次にこの今日の事件が記されています。
3つのポイントでこの事件を見ていきます。
- 小さな子どもたちとは誰か?
ここで小さな子どもたちと訳されている言葉は「ナール」という言葉ですが、この言葉は未熟な子どもを現す言葉です。他の箇所では創世記37:2で17歳のヨセフに使われています。また自らを神の前で謙遜する時にも使われています。1列王記3章でソロモンがダビデ王の後を継いだ時、3:7で主に祈った祈りの中で自らを「しかし私は小さな子どもで、出入する術を知りません。」と言っています。しかしこの時、ソロモンは結婚していて、1歳の息子がいました。聖書学者たちによるとこのナールという言葉は12〜30歳くらいの男性に使われる言葉だということです。ですからこの箇所で「小さな子どもたち」というのは実際には若者と理解することができます。ではなぜ「小さい子どもたち」と訳出されているのかというと、霊的に未熟であったからだと考えられます。
- 「はげ頭」とからかった罪
はげ頭をばかにするということは罪でした。聖書もはっきりとはげについてこのように記しています。レビ記のツァラアトの定義についての中で、13:40,41「男の髪の毛が抜け落ちるとき、それははげであって、彼はきよい。もし顔の生えぎわから髪の毛が抜け落ちても、それは額のはげであって、彼はきよい。」
神様の前にはげが何らかの汚れや落ち度があるということではないにも関わらず、彼らは単に見た目をバカにしたのです。もしかすると大預言者エリヤははげでなかったので、彼と比較してこんなはげ頭が預言者のはずがないと考えたのかもしれません。しかし神様はエリシャを選ばれたのです。
- 預言者をばかにするということは
神が立てた預言者をバカにするということは、その預言者を立てた神様に対する罪であるということです。この熊はエリシャのペットではありませんでした。エリシャの命令で彼らを攻撃したのではなく、神様が突然熊を用いて彼らにさばきを下されたのです。エリシャがしたことは「主の名によって彼らをのろった」だけです。そうすると神様が雌熊を持って攻撃されたのです。かき裂かれたのは42人でしたが、全員で何人いたのかはわかりません。
この箇所は突然の出来事であり、また短い箇所なので、別に聖書に載せなくても話は繋がる箇所ですが、なぜこの箇所がここに記されているかと言えば、この箇所が教えているのは、神が選び、立てたものだと分かっていながら、バカにすることは神をバカにしている、冒涜している罪であり、神様はその者に対してのさばきを必ず行われるということです。それはこの後3章以降でイスラエルの悪い王様たちに対するさばきがエリシャを通してなされたことから分かります。

