シーン①

むかしむかし、イエス様が生きておられた時代。
イスラエルの人々は、どんな風に家を建てていたのでしょうか。
「えーっと、大きな木の柱を立てて、大工さんが木の板をトンカチと釘で、順番にはりつけていったんじゃないかな。」
きっと、みんなそう思ったと思います。
かんかん、トントン、コンコン。
そして、のこぎりで木を切る音も聞こえてきそうです。
ギーコ、ギーコ。ぎこぎこ、ギーギー。
家を建てるというと、
釘とハンマー、のこぎりを使って、
木で家を建てるイメージを思い浮かべてしまいます。
シーン②

しかし、イエス様の時代の家は、とてもシンプルなものでした。
ほとんどが、1階だけの平屋です。
壁は、木ではなく、泥で作ったレンガや、ごつごつした岩。
屋根は、木の梁に枝をのせ、その上に土をかぶせた、平らな屋根でした。
屋根が平らなので、
洗濯物を干したり、
夜に眠ったりと、いろいろな使い方ができました。
とても簡単な作りの家だったので、
数十年ごとに建て替えるのが当たり前でした。
嵐や洪水、地震、戦争などによって、家は簡単に壊れてしまったからです。
だから、イスラエルの人々にとって家とは、
百年、二百年と代々住み続けるものではなく、
**「その時の生活を支えるもの」**だったのです。
シーン③

ここで、少し立ち止まって、この地図を見てみましょう。
茶色のところは、ごつごつした岩の多い丘や山。
黄色のところは、平らで、川があり、畑が作りやすい砂地です。
実は――
イエス様の時代、多くの人は、この黄色い砂地に住んでいました。
川があって、作物が育ち、
大きな道があって、人もたくさん行き交っていました。
砂地は、
「住みやすそう」
「安心できそう」
「ここで大丈夫そう」
そう見える場所だったのです。
岩の上はどうでしょう。
ごつごつしていて、歩きにくく、
家を建てるのも大変そうです。
だから、人々は砂地を選ぶのが当たり前だと思っていました。
そんな中、二人の人が家を建てることにしました。
二人とも、とても張り切っています。
シーン④

一人の人は、平地が広がり、近くに川がある場所を選びました。
「ここは、平らで家を建てやすそうだ。」
「土もやわらかい。畑も作れそうだ。」
「水にも困らないし、人もたくさん通る。」
「ここなら、安心して住めそうだ。」
シーン⑤

もう一人の人は、丘を上り、ごつごつした岩地を選びました。
「ごつごつしているなぁ。」
「でも、岩は変わらない。強い土台になるはずだ。」
二人は、レンガを積み上げ、
同じように一生懸命働き、
同じような大きさの家を建てました。
家が完成し、二人はとても喜んで、住み始めました。
シーン⑥

ところが、その年、今までにないほどの大きな嵐がやって来ました。
雨はザーザー、
風はビュービュー。
川の水はどんどん増えていきます。
砂地に建てた家は、地面がぐじょぐじょになり、
ついに倒れてしまいました。
しかし、岩の上に建てた家は、
倒れることなく、立ち続けました。
いったい、ちがいは何だったのでしょうか。
家を建てた材料も、
努力も、
見た目も同じ。
ただ一つ、違っていたのは――
土台でした。
シーン⑦

イエス様のたとえを聞いた人たちは、そのとき、
「はっ!」としました。
イエス様が、
砂地に家を建てる愚かな人にたとえられているのは、
律法学者やパリサイ人、
宗教的にとても熱心な人々のことだと気づいたからです。
「主よ、主よ」と口では呼び、
人々の前で祈り、
熱心に神様のために働いていた人であっても、
もし、その心の土台が、
自分の考えや、人からの評価だったとしたら――
それは、砂地に家を建てた愚かな人なのだ。
誰よりも聖書を知り、
誰よりも祈り、
誰よりも神様のために働いていると、
自分でも、周りからも思われていた人々が、
イエス様によって、
**「砂地に家を建てた愚かな人」**として、
示されたのです。
晴れた日には、何の問題もありません。
しかし、嵐が来ると、
その「正しさ」は、人を支える力を失います。
最後の審判のとき、
イエス様から、
「わたしはあなたがたをまったく知らない。
不法を行う者たち、わたしから離れて行きなさい。」
と言われてしまうのです。
シーン⑧

イエス様が、岩にたとえられたのは、
神様の言葉――キリストご自身でした。
殺人の根にある怒り。
姦淫の根にある欲望。
人からの承認を求める心。
それらを捨て、
父なる神への信頼をもって、
「思い煩うな」と、
イエス様は、心の奥深くまでの正しさと聖さを求められました。
岩の上に家を建てるとは、
イエス様が求めておられる正しさが、
「自分の力では、とても届かないものだ」と認めることです。
「私はできません。」
そう自分の罪を認め、悔い改め、
イエス様の十字架の血によって清めていただき、
イエス様に主となっていただく、
従順な歩みなのです。
支えは、キリストご自身です。
岩の上に家を建てるとは、
「自分の正しさ」や
「人からの評価」に、もう頼らないこと。
変わらない神様の言葉に、より頼むことです。
岩の上は、
歯を食いしばって踏ん張る場所ではありません。
倒れ込み、
神様から義と愛を受け取り、
神様と隣人を愛する者へと、
日々、変えられていく場所なのです。
シーン⑨

イエス様が教えてくださったのは、
「どれだけがんばったか」ではありません。
「何の上に、人生を建てているか」
それでした。
イエス様は、
流されやすい「自分の考え」や「人の意見」ではなく、
変わることのない「神様の言葉」に信頼し、
それに従って歩みなさいと、
今も私たちを招いておられるのです。
