日本では「契約」と聞くと、
どこか縛りつけられるもの、あるいはトラブルを防ぐための保険のように感じるかもしれません。
でも、世界ではもっと根本的にこう考えられています。
「人は完全ではなく、裏切る可能性がある。だからこそ、信頼関係には契約という形が必要だ」
この前提に立って交わされる契約には、
お互いの立場を明確にし、信頼と責任をもって歩むための知恵が詰まっています。
そして聖書は、
神ご自身が「契約」をもって人と関わられることを語っています。
◆ 聖書とは「契約の書」であり、神の誠実さの証
「旧約聖書」と「新約聖書」――
この“約”という文字は、「契約(Covenant)」を意味します。
つまり聖書とは、
古い契約(旧約)と新しい契約(新約)について記された書物なのです。
そこに登場する神は、
一方的な命令者ではなく、
人と約束を交わし、その約束に忠実であられる方です。
- ノアとの契約(創世記9章)では、「再び地を洪水で滅ぼさない」と約束され、
- アブラハムとの契約(創世記15章)では、「あなたの子孫を祝福する」と誓われ、
- モーセとの契約(出エジプト記)では、律法を通して正しい生き方を示され、
- そしてイエスによって新しい契約が始まり、すべての人に赦しと永遠のいのちが開かれました。
この神の契約は、ただの「取引」ではありません。
誠実さ・愛・赦し・聖さに満ちた、深い人間関係の約束なのです。
◆ 契約は、信頼と安心感の土台となるもの
契約には明確な内容があります。
- それを信じることで、何を受け取れるのか
- もし破ったときには、どんな結果が生じるのか
これらは恐怖ではなく、
むしろ「安心して相手と関係を築くための道しるべ」です。
聖書の神は、契約をもって、
「わたしはあなたを見捨てない」
「あなたを愛している」
「あなたの罪を赦す」
と、**一貫して誠実に語り続けてこられました。
◆ キリスト教とは、「契約に生きる信仰」です
私たちキリスト者は、「契約に生きる民」です。
神との間に結ばれた契約に信頼し、
その愛に応えて、誠実に、自由に、神の民として歩んでいるのです。
信仰とは、
「何かを盲目的に信じること」ではなく、
明確な約束(契約)に基づいて生きる選択でもあります。
◆ あなたも、聖書の契約を知ってみませんか?
もしあなたが、
- 「キリスト教の信仰って、実は知的で論理的なんだ」と感じたなら、
- 「聖書に書かれた“契約”をもっと深く知ってみたい」と思われたなら、
ぜひ五十嵐キリスト教会を訪ねてみてください。
新潟大学の近くにあります。
わからないことがあれば、牧師にご連絡ください。
親切にお答えします。
聖書は神からのラブレターであり、契約の書。
あなたがどれほど大切に思われているか、
どれほど豊かな人生に招かれているかが、
ページを開くごとに、はっきりとわかってきます。
あなたも、その契約の中に加わってみませんか?
