「信じない」のではなく、別の「信仰」に立っているだけでは?

現代の学校教育や一般的な科学の世界では、進化論が「常識」として教えられています。

しかし、その理論の根幹に立ち返ってよく考えてみると、

そこには科学的にも、論理的にも、深刻な矛盾があることに気づきます。

◆ 進化論は、本当に“科学的”でしょうか?

進化論は、「単純な生物が、偶然の積み重ねで複雑な生命へと変化した」と主張します。

けれど、この仮説にはいくつもの疑問があります。

● 1. エントロピーの法則に反している

熱力学第二法則、すなわち「エントロピーの増大の法則」は、

閉じた系の中では秩序は減り、混沌が増すという自然の法則です。

それにもかかわらず、進化論は「時間と偶然が秩序と複雑性を生み出す」と主張します。

これは、物理法則に逆らった奇跡を前提にしているに等しいのです。

● 2. 遺伝子情報は自然に増えない

進化には、新たな形質(羽、目、脳など)を生み出すための新たな遺伝情報の追加が不可欠です。

しかし、突然変異や自然選択では、

情報を削ったり壊したりすることはあっても、新しい情報を加えることはできません。

科学的に見て、遺伝情報の自己増殖は不可能なのです。

● 3. 原子レベルでも破綻している

生物を構成する原子の秩序や配列は、驚くほど精密です。

そこには、設計者の意図を思わせるほどの情報構造が存在します。

偶然に並んだ原子が、自ら意識や意思を持つ存在になるというのは、

科学ではなく、信仰に近い考え方です。

◆ 実は「神を信じない信仰」に立っている

ここで気づかされるのは、

進化論が「神を否定する科学」ではなく、

むしろ「神を前提にしない世界観に立った宗教的信条」に近い、ということです。

つまり、「神を信じない」のではなく、

神を信じないという思想を、信じている」のです。

◆ だからこそ、静かに問いかけたい

私たちは今、

  • 命とは何か
  • 自分はどこから来て、どこへ行くのか
  • なぜ他人の苦しみに涙するのか
  • なぜ平和を願うのか

こうした問いを抱えながらも、

科学という名の“無神論的世界観”の中に押し込められていないでしょうか?

でも、本当は、

命は奇跡であり、贈り物であり、意図されたものかもしれません。

◆ 聖書ははっきりと語ります

「はじめに、神が天と地を創造された」――創世記1:1

「神は人を、神のかたちに創造された」――創世記1:27

人間は偶然の産物ではなく、

愛と意志をもって創られた尊い存在です。

その神が今もあなたを見ておられ、語りかけておられるのです。

◆ あなたの信じている“前提”を問い直してみませんか?

この問いに怒りや批判を向ける必要はありません。

ただ、問い直す勇気を持つだけでいいのです。

あなたが今、「目を開かれるような感覚」を持ったなら、

それは、神があなたの心を静かにノックしておられる証拠かもしれません。

どうか、五十嵐キリスト教会でその答えを一緒に探してみませんか?

聖書は、科学や哲学の上に立つ、真理の書です。

あなたを深く理解し、慰め、導いてくれます。