「青い空は」歌詞(小森香子/大西進)

1番

青い空は 青いままで  
子どもらに 伝えたい  
燃える八月の朝 影まで燃えつきた  
父の 母の 兄弟たちの  
命の重みを 肩に背負って  
胸に抱いて

2番

青い空は 青いままで  
子どもらに 伝えたい  
あの夜 星は黙って  
連れ去っていった  
父の 母の 兄弟たちの  
命の重みを 今流す灯篭(とうろう)の  
光に込めて

3番

青い空は 青いままで 

子どもらに 伝えたい  
すべての国から戦(いくさ)の火を消して  
平和と 愛と 友情の  
命の輝きを この堅い握手と  
うたごえに込めて うたごえに込めて

◆「青い空は」――燃え尽きた街を持つから、届けたい真実

青い空は 青いままで 子どもらに 伝えたい。

被爆の記憶とともに、この歌をうたった人は少なくありません。

それは祈りであり、涙であり、 「なぜ命は奪われてはならないのか」という問いでもありました。

◆ 一瞬で、すべてが消えた――原爆の日

広島、長崎。 あの日、建物も、家族も、夢も、命も、一瞬で消えましたと語り部は、子供だった私たちに伝えてくれました。

私たちの体も家も木も花も、動物たちも、目に見えるものは、すべて原子からできています。

けれど原爆は、その原子の結びつきを高熱と衝撃で断ち切り、気化させ、吹き飛ばし、影も形も残さず奪い去ったのです。

科学は、原爆によってすべてが一瞬でなくなったことを、原子の構造から説明できます。

けれど、あの地で涙を流した理由、痛みを覚えた理由、 命を悼む心の理由を説明できません。

◆ 進化論は、命の悲しみを語れない

進化論は言います。

「生命は偶然に生まれた」「環境に適応したものが生き残った」と。

でも、もしそれが真実なら――

なぜ私たちは、命を悼み、涙を流し、命に「意味」があると感じるのでしょうか?

なぜ、燃え尽きた空の下で、「青い空は青いままで」と願うのでしょうか?

子供の時、原爆について語り部から話を聞いて、「命の尊さとは何だろう。」と考えたことを思い出します。

進化論には、その答えがありません。

それは、命をただの物質の偶然の産物としか見ていないからです。

被爆国だからこそ、私たちは進化論に立ってはならないのではないかと心が痛みます。

被爆の悲しみを知っていた語り部たちの熱心を大人になって受け止めなおします。

「命の尊さ」と「進化論」という、根本的に異なる倫理観のあいだで、

私たちの思考は、知らず知らずのうちに浅いところにとどめられてはいないでしょうか。

◆ 聖書は語ります――あなたの命は、神のかたち



「神は人をご自身のかたちに創造された。

男と女に、神のかたちに創造された。」(創世記1:27)

あなたの命は偶然ではありません。

天地を造られた神が、愛をもって意図して創られた、かけがえのない存在なのです。

そしてその命は、 痛みも感じ、愛し、涙を流し、赦すことさえできる――

それは、神のかたちに創られた者の証拠です。

だからこそ、私たちは被爆の痛み、戦争の嘆きに共感できるのです。

だからこそ、命を軽んじることはできないのです。

◆ 命の源へと立ち返るとき

「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続く。」(コリント第二 4:18)

原爆で焼かれたものはすべて目に見えるものでした。

しかし、祈り、愛、友情、涙、痛み、苦しみ、悲しみ、絶望、喪失――

それらは今も消えずに残っています。

◆ 今、あなたへ問いかけたい

あなたの命は、偶然ですか?

それとも、意味ある存在ですか?

私たちは、原子が偶然集まり、アメーバから偶発的に進化した存在ではありません。

私たちの命は、はじめから、ある偉大な意志と目的の中に置かれているのです。

そう感じたことがあるなら、

その声に耳を傾けてください。

それは、神があなたに語りかけておられる証です。

◆ 最後に――青い空は、青いままで

私たちは願います。

もう二度と、命が踏みにじられることのない世界を。

でもそのためには、

まず、命を与えた神に立ち返ることが必要です。

進化論では見えない命の尊さ、

偶然ではなく、神の愛に根差した希望の物語

あなたにも知ってほしいのです。

なぜ戦争はなくならないのか。

神がいないのではなく、人の罪深さの最たるもの、自己中心が人の命をも軽んじてしまうのです。

人の持つ罪の大きさと醜さを過小評価してはいけないのです。