内容がカブっているのはなぜ?

聖書は基本的には歴史の書物です。旧約聖書は紀元前1500〜紀元前400年の間に書かれ、新約聖書は起源40〜90年代の間に書かれました。

その中で内容が被っている箇所が結構あります。その理由は記した人が違うからです。同じ出来事を違う人々が記すとその内容が多面的に立体的に読み手には理解することができます。その出来事が作り話ではなく、事実としての確証が高まってくることもあります。

その聖書の中でも4つも被っている箇所があります。それは新約聖書の福音書という箇所です。福音書とは、イエス・キリストがこの地上を歩まれた記録です。彼が何を語り、何を行ったかが記されているのですが、この福音書が4つも被っているのです。何が違うのでしょうか。もちろん記した人が違います。そして読み手も違います。比較してみましょう。

各福音書について

 ・マタイの福音書:ユダヤ人に向けて「イエスがメシア・キリスト(王)である」1:1

          始まり:ユダヤ人のために系図から始まる(父祖アブラハムから)

          内容:神の国を天の御国というユダヤ的表現で語る。イエスの多くの説教が記される。 

          唯一「教会」について記されている。

          終わり:イスラエルから始まる大宣教命令

・マルコの福音書:ローマの異邦人向けて「イエスが奴隷である」10:45

          始まり:バプテスマのヨハネの登場

          内容:異邦人向けなので系図は省略され、アラム語は意味が説明されている。

         展開が早く、イエスの言葉は少なく行いに焦点が当てられている。

         終わり:復活後の弟子たちの顕現が記されていない。

・ルカの福音書:ギリシャ人(テロピオ)に向けて「イエスが人の子である」19:10

         始まり:イエスの誕生物語

         内容:唯一イエスの少年期が記されており、系図はアダムまで遡る。

         終わり:使徒の働きの世界宣教(ギリシャへの)と聖霊の約束につながる

・ヨハネの福音書:すべての人に向けて「イエスが神の子である」20:31

         始まり:神の子としての登場

         内容:イエスの神性の強調「わたしは○○です(6:35,8:12,10:7,9,11,14,11:25,14:6,15:15)」という

ことばが記されている。たとえ話は無く、奇蹟も8つのうち5つはこの福音書独自のものである。

         個人的対話(ニコデモ、サマリヤの女等)が多く記される。

         終わり:ペテロとの個人的会話

 このようにしてそれぞれの著者の目的、宛先、テーマを知った上で読み、比較することによって理解が深まり、イエス様とその生涯を多面的に捉えることができるのです。

カブるには大切な理由があり、それが真理を明確にするのです。