私たちは生きていく中で、誰かに傷つけられた経験を避けることはできません。
裏切り、誤解、ぞんざいな扱い…。ときには、その出来事が人生そのものを壊してしまったと感じることさえあります。
聖書の登場人物ヨセフも、深い傷を負った人でした。
父の偏った愛情の中で複雑な家庭に育ち、兄たちに憎まれ、奴隷として売られ、家族と引き離されました。
けれど年月が過ぎ、ヨセフはエジプトの総理大臣となり、飢饉の中で人々を救う立場になります。
やがて、自分を売った兄たちが助けを求めて、「私たちを赦してください」と願ったとき、ヨセフは涙を流しました。
その涙には、どのような思いが込められていたのでしょうか。
―― 長い年月を経て、赦し、そして愛する兄たちが、なお恐れと罪悪感に縛られていることへの深い悲しみ。
―― 自分たちの過ちが神のご計画の中で用いられたことを、まだ知らないことへの憐れみ。
―― そして何より、憎しみや孤独、裏切りのすべてが、「恵みの道」へと変えられたという神の御手への感動。
ヨセフの涙は、「赦す者の涙」であり、「神を信じる者の涙」でした。
ヨセフは兄たちに言いました。
「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。」(創世記50:20)
ヨセフは人間的な力で赦したのではありません。
すべての出来事の背後に神のご計画があったと信じたからです。
兄たちの悪意は確かに存在しました。しかし神は、それさえも用いて、多くの人の命を救う道を備えられました。
赦しとは、過去をなかったことにすることではありません。
裏切りは痛みを残したまま、涙の跡も消えません。
けれど神を信じるとき、「なぜあんなことがあったのか」という問いが、「神はその中でも働いておられた」という確信へと変わっていきます。
ヨセフが経験したように、私たちの人生にも「悪を善に変える神の手」は働いています。
もし今、赦せない過去を抱えているなら、まだ心には痛みと涙があるのではないでしょうか。
けれど、神の前に出るなら、その一歩があなたの人生を変える始まりになります。神はあなたの心を少しずつ変え、恨みを越えた新しい歩みへと導いてくださいます。

